almost everyday.

its a matter of taste, yeah

痛みなんか忘れてしまいたい

今朝、出勤途中に、わたしのすぐ目の前を走っていた車が追突事故を起こしました。片側2車線の大きな通りで、黄色信号に突っ込むつもりだった車が止まりきれずに大きくハンドルを切って、隣の車線に止まってた別の車にぶつかったんです。怖かった。すごく怖かった。もしも何かの間違いで、というかほんの小さなタイミングのずれみたいなもので、わたしがあの突っ込まれた車の位置にいた可能性だってきっとそう小さくはなかったはずなのです。職場に着いて車を降りるまで、自分の身体が震えてるのかそれとも単にエンジンの振動なのかわからなかったけれど、これはどうやら前者のようでした。思い出すと今でも背中がぞわぞわします。事故で死ぬのはどうしても嫌です。もしも消去法的なプロセスを経て死に方を特定できるのだとしたら、最終的には、誰の過失にもよらない原因を以て死を迎えたいなあと夢想してしまうほどです。それはたぶん、想像するよりずっと難しいことだと思うのだけれど、それでも、できることなら。

昨日からずっと、2年前にうちの職場で引き起こしたらしいとある不手際を本社からねちねちぐちぐち蒸し返されています。電話ごしに、まるで子供に言い含めるみたいな口調でいやみったらしく「とんでもないことしてくれましたね」とか「あっては・ならない・ことなんですよ?」とか、そんなんばっかり。あんまり腹に据えかねたので「いやいや、今になってそんなこと言われてもなあ。ちゃんと了承は得てたんですから何の不都合もないはずでしょう?だいいちわたし、そのときまだここで働いてなかったしなあ」等、わざとらしくため息ついて漏らしてみたら「ええっ?そうなの?本当に?」と2回同じことを訊かれました。相当うろたえてました、電話の相手。どうりで話が噛み合わないと思ったよ。「てっきり3年くらいいるもんだとばっか思ってたよー。だって、何言ってもぜんぜん物怖じしないし言い返してくるし訛ってるからさあ・・・」とも言われました。すみません、それは、わざとです。なめられないために知識を身につけなければならないのはもちろんですが、それ以外にもある程度の技術というかポイントというかそういうものが必要だなあ。とも思うからです。でも、何だか逆効果のような気がしてきたのもまた事実。「ところでせーのさん、今いくつ?」「29になりました」っつうやりとりの後にもやっぱりびっくりされたもんなあ。かと言って、もちろん今さら直せないけど。ふうう。

もうひとつ寝ると、お友達と飲み会。さらにもうひとつ寝ると、恵比寿で小谷美紗子さんのライブ。さらにさらにもうひとつ寝ると、下北沢でゲントウキさん+クノシンジさんのライブ。たのしみです。すごくたのしみです。ひさしぶりのお友達に会えるのも、それと同じくらいっつうかいやそれ以上?にたのしみです。土曜のお昼はまだ空いてます、どなたか遊んでいただけませんか?ってさすがにそれは贅沢か。おやすみなさい。