almost everyday.

its a matter of taste, yeah

同じ日のことを思い出して

きのう、仕事中に去年の手帳をひっぱり出して調べものをしていたときに気がつきました。父親の肺に新しい影が見つかってから、今日でまる一年が経つのです。
…というわけでそろそろ、もういい加減に認めてしまわなければいけません。その日からずっと、そしてこの冬から現在に至るまでは特に色濃くわたしの内側を侵食してきた悪しきものの正体が「もうすぐこの世から父親がいなくなる」ことへの恐怖感だという事実を。誰も何ものも救い出してはくれない、自分自身で落とし前をつけなきゃいけない、というのを頭じゃなくて心で理解しなくちゃならないってことを。「家族の中でもっとも遠く離れている」という物理的ハンデを逆手にとって与えられた中立的ポジションを全うする、それが第一命題だということを。離れているから現実を目の当たりにしなくてすむ、だからこうして恐怖感を味わうこともできる、という逆説的な安心感を。
思えば、わたしは、父親が何かを弁解したり取り繕って慌てる姿を見たことがありません。母や姉やわたしにどう思われようと一向に気にすることなく、常にどこ吹く風でいます。病を患ってなお、です。その血がほんとうにわたしにも流れているというのなら、もう少しくらい打たれ強い性格に育つこともできたはずなのに。今はただ、もっともっと強くなりたい、ならなきゃいけない。おやすみなさい。