almost everyday.

its a matter of taste, yeah

君の読んでる音楽雑誌 そこに音楽はあるのかい

写真:秋のお楽しみが届きました。いつ食べられるかしら。わくわく。
終業後、駅に着くなり同業者よりメール。いわく「道の反対側で姿見かけて追いかけたんだけど、全然追いつけなかったよ!歩くの早すぎ!ばかばかー」とのこと。こんな理不尽な叱られかたもめずらしい、と思ったのでメモ。ひとまず来月飲みに行く約束など。
帰宅後、周期的要因による食欲が凄まじく何を食べても一向に腹が満たされず。毎度のことながら、この時期はいつも自分の胃の底が抜けてしまったのではなかろうかと少し不安になります。
その後、水より電話。来週末に迫ったイベントの連絡事項など。ほか「『ローゼズの再来』とか言われて出てきたバンドには大抵がっかりさせられる」という話題で首がもげるほど頷いたりとか。あれ、言われるほうも不幸だと思うんだけどなあ。その前情報なしに聴いたらそれなりにぐっと来るかもしれないのに。そもそも今日の(メインターゲットたる)若いリスナーに「ローゼズ」という品質保証マークはどの程度機能するんでしょうか。そう考えると誰も得しない気がしてくるんです。
長くなったのと黒い話題なのとで、ここから一応たたんどきます。今回のなたりーVSすぬーざーの一件について。自分はついったーにて傍観していただけなので細かい経緯はわかりませんが、謝罪が出たってことはやはりそちらに非があるのですよね?とりあえず脱力。あまり深く考えずに突き進む精神はいまだ健在、ということなのかと。
思い起こせば自分には中2〜高3くらいまでジャパンを、高2〜社2くらいまでROをそれぞれまじめにじっくり読んでた頭でっかち期がありまして、ネットが普及するにつれ「自分でお金出してCD買ってるひとの感想のほうがおもしろいな」という考えにシフトし現在に至るわけですが。その時期を含めてもすぬーざーは買ったことがありませんでした。もうずっと昔、マイケル・スタイプがROでモンスターについて語ってた頃だから15年以上前?のインタビューで「そうだよ、きみの言う通りだよ。そんなふうにこのアルバムを聴いてくれたのはきみが初めてだ」みたいなことを言われてキャッキャ喜んでる一部始終を掲載するという恥知らずぶりに子供ながらも「バカかこいつ」と呆れたから、というのがその主な理由です。ほぼ同時期にコステロのインタビュー(たしかコジャック・ヴァラエティが出た頃)でも同じようなことをしてて「このひとは本当に俺が俺がタイプなのだなあ」「誌面の私物化はやめましょうよ」「そんなん書いてるスペースがあったら一行でも多くスタイプのコステロの言葉を載せやがれ」「こちとら5000円/月のこづかいの1割つぎ込んで情報収集してんだぞオラー!」とずいぶん腹立たしく思ったんでした。
言うまでもないことですが「音楽雑誌」と名がつくからには音楽が主役であってしかるべきで、そうは言っても紙媒体に音をそのまま載せることは不可能なので、結果的に音楽をとりまく「言葉」および「文章」が主役となるはずです。ならば当然、筆者たる部外者は可能な限り黒子に徹するべきだと考えます。自分の考えや立ち位置を明らかにしてから、つまり冗長な自分語りを経てインタビューなりレポートなりに臨むのもある種の誠実さと呼べるのかもしれませんが、少なくともわたしはそれを求めていません。それも含めて広い意味で「読み物」として楽しむ向きもありましょうが、商業誌として流通している以上は他のさまざまな読まれ方が存在するということも当然視野に入れておくべきです。まあ、そんなことをぐちぐち抜かす輩はそもそもこれを買いませんよね。実際わたしも買ってない。
…ええと、これって要するにただの私怨だったのか。ここまで書いてあらためて、おのれの執念深さに驚いている次第です。すべては好みの問題だからね!表立ってディスるつもりとかないからね!よろしくお願いいたします。
そういうわけで、当時個人的に「このひとの文章は穏やかで良いなあ。読みやすいなあ」と一方的な信頼を寄せていたのは、もうひとりの田中こと田中宏明さんでした。デビュー当時のクーラ・シェイカーを日本に広めた功績は、もしかしたらこのひとの尽力によるところが大きいのかもしれませんよ。おやすみなさい。