almost everyday.

its a matter of taste, yeah

サマーフィーリング

  • 朝いち、チネでサマーフィーリング。静かで美しい映画でした。
  • ベルリン、ある夏の朝。恋人の腕の中で目覚めた女は、ひとりベッドを出て身じたくを整え仕事へと向かいます。コバルトブルーの半袖トップス、丈の短いデニムショートパンツ。その服装に絵の具だらけのエプロンをつけた彼女は、大きなシルクスクリーンを取り出し手際よく布に色をのせていきます。身体より大きな版面も難なく扱い、時に同僚と一服したりもして、滞りなく一日の仕事を終え帰途に着く後ろ姿。同僚たちと挨拶を交わし、朝と同じ公園を歩く彼女は、突然、何の前触れもなく倒れるのでした。
  • ほぼ一切台詞もなく、わずか一日足らずその姿をスクリーンに残したまま物語を去る彼女、サシャ(先の場面では名前すら明かされない)。その喪失があまりにも唐突すぎるが故、観るものに強烈な印象を残します。遺された恋人や家族、友人たちについても説明的な演出は皆無で、言語の違いや会話の内容によりそれを読み解かなければならない。サシャの死以外に大きな出来事は何も起こらず、穏やかな時間が流れていくにもかかわらず、不確かな緊張感のようなものに支配されている気がしてなりませんでした。
  • 一年後の夏はサシャの妹・ゾエとその家族が暮らすパリ、さらにもう一年後はサシャの恋人・ロレンスが移り住んだ地元ニューヨーク。それぞれ違った表情を見せる夏の景色がどこまでも美しかったです。こうして月日を重ねることでしか乗り越えられない苦しみがある、というかつての記憶を呼び戻さずにはいられなかったし、観るものそれぞれが大事な人を思い浮かべることのできる豊かな余白を与えられていると感じました。ロレンスの「世界との距離の取りかたがわからない」という台詞がとりわけ印象的だった。サシャもゾエも肩が薄いから何着てもオフショルダーぽくなっちゃうんだな、姉妹だな、などと何気ない繋がりを見出す瞬間ひとつひとつが愛おしくて苦しかったです。
  • 最後にひとつ、音楽でとりわけ印象に残ったのがロレンスの姉の誕生日パーティー。このシーンの冒頭で高らかに鳴り響いているのがラーズのSon Of a Gunなのです。30年以上も前の、それもイギリスのバンドの曲がなぜ今ニューヨークで…?という驚きもあいまって、他の挿入曲の存在感が薄れてしまった感さえある。そういえばサシャの友人ジューンは序盤でキンクスのサイケなTシャツを着てたしライブシーンにはマルク・デマルコも出てくるし、小ネタがいちいちツボにはまりました。音楽の劇伴はいずれも物語に寄り添う優しい音像が心地よかったです。

  • 映画の後はトラストシティのタイフェスへ。元々ウェスティン前の広場の一角で催されるごく小規模なイベントとは言え、今年はいくらなんでもショボすぎる簡素すぎるのでは…?かろうじて本場タイっぽい屋台はわずか二つにとどまり、残りは中華とプレミアムモルツ。それとクレープ。タイフェスの名を冠しておきながらシンハーもチャーンも買えない、だと…?何なんですかその体たらくは。あきれ返った我々は即刻徒歩20秒のやまやへ直行、缶入りのシンハーを即購入。来年はもうちょっと何とかしてくれ。改善を求めます。

  • 暑いなか辛いものをたんまり食べるつもりだったのにあてが外れて興を削がれたため、勾当台公園のやくらいビールをひっかけて帰宅した後はあらかじめ仕込んでおいた水出しコーヒーでひと休み。モロゾフのフレッシュチーズケーキは、先日よそでいただいて美味しかったもの。なんでも週末限定だそうで、本日ようやく再び巡り会えました。よかった。
  • 先発は菅原。先週のZOZOマリンでの無念を今こそ晴らしてくれ…!とばかり気合を入れて臨んだわけですが、まさかここまで1点が遠いとは。5時間超のナイトゲーム、終わった時にはもうへとへとでした。つ、つかれた…。このカード、残り2試合どっちも勝ちたい。おやすみなさい。