almost everyday.

its a matter of taste, yeah

2010年第2回・本日のライブ ひふみよ 小沢健二 二零一零年五月六月@仙台イズミティ21

19時、ほぼ定刻ぴったりに開演5分前のアナウンス。驚きました。てっきり押すものだとばかり思っていたので。(※以下、ネタばれを含みます。ご注意を。)
セットリスト

  • 流星ビバップ
  • ぼくらが旅に出る理由
  • 天使たちのシーン
  • いちごが染まる(新曲)
  • ローラースケート・パーク〜東京恋愛専科〜ローラースケート・パーク
  • ラブリー(練習)
  • カローラⅡにのって〜痛快ウキウキ通り
  • 天気読み〜戦場のボーイズライフ
  • 強い気持ち・強い愛
  • 今夜はブギーバック
  • 夢が夢なら
  • 麝香
  • ショッカショ節(新曲)
  • さよならなんて云えないよ(メンバー紹介)
  • ドアをノックするのは誰だ?
  • ある光(サビだけ)
  • 時間軸を超えて(新曲)
  • ラブリー
  • 流星ビバップ

アンコール

  • いちょう並木のセレナーデ
  • 愛し愛されて生きるのさ

客電が落ち、暗闇の中いちばん最初に聞こえてきたのは「流星ビバップ」のイントロ。ああ!姿はまったく見えないけれど、これは確かに小沢健二の声。15年以上にわたり何十回も何百回も繰り返し聴き続けてきたあの声が、いま目の前のステージで歌っている。ということが未だにちょっと信じられません。初めて生で聴くその歌声は、かつての軽やかに乾いた響きとは少し異なり、微かな湿り気のような憂いのような深みを湛えていました。具体的に言うと、以前に比べて低いほうにやや音域が広がっている印象。そして、ボーカル作品としては最新作の「Eclectic」における囁くような歌いかたではなく、実に堂々とした歌いっぷり。決して短くはないブランクを経ているはずなのに、冒頭からよく声が出てるなあと感心しました。
その後も灯りは落ちたまま、鳴り止まない拍手に「…始めてもいいですか?」という微笑まじりのひと言を呟いた後で詩のような物語のような朗読を。ニューヨークの大停電、都会の機能はすべて失われるがホームレスやラジオ局は大いに活躍、明日には世界は元に戻るけれど、暗闇の中で聴いたり歌ったり踊ったりした音楽のことは忘れない。…という話。ええと、ひょっとしたらこのまま最後まで灯りがつかなかったりして?まさかね。でもやりかねないな。まさかね。
2曲めは「僕らが旅に出る理由」。依然として辺りは闇に包まれたまま。おそらくはオリジナルと変わらないあのホーンズを聴いてると、心が粟立って浮き足立って気が急いてしかたありません。…と、最初のサビが終わったところで不意に光が。バックバンドは総勢10人。その全員が、白地に鳥や緑が描かれた丈の長いスモックのようなゴスペル聖歌隊のようなお揃いの、しかしそれぞれ微妙に異なる服を身に着けていました。小暮さんは今も変わらずリーゼント。北原さんは今も変わらずドレッド。そして小沢さんも、やはり昔と変わらないさらさらの髪、細く長い手足、そしてファーストアルバムリリース時のようなTシャツ姿。自分の中でほんの刹那、時空が歪むのがわかりましたがそれでもどうにか踏み止まりました。これは、本当に本当に2010年の話なんだろうか。何だか未だに信じられないけど、どうやら何もかも本当のことみたいです。以前に比べてほんの少しだけ額が広くなったかしら、とも思いましたがおでこが大きいのは昔からでしたね。そんなことない?それにしても「天使たちのシーン」がこんなに早く披露されるとは思いませんでした。まだ序盤も序盤なのに。
続いては新曲「いちごが染まる」。三拍子の、ワルツのような曲。「ローラースケート・パーク」と「東京恋愛専科」はメドレーのように繋げて披露されました。「ラブリー」のイントロが鳴った瞬間は客席からことのほか大きな声援が飛んだのですが、まさかのおあずけ。「この曲は1時間後くらいにとっておくので、今はとりあえず新しい歌詞を練習しといてください」だそうで、「Life is comin' back」が「感じたかった」に、「Can't you see the way? it's a」が「完璧な絵に似た」にそれぞれ変更されました。1時間後まで覚えていられるでしょうか。つい元の歌詞のまま歌ってしまいそうです。
続いて、ふたたび朗読。朗読の後ろで流れる演奏は、先ほどからずっと「Eclectic」収録の「∞」に近いような…?そのリズムに合わせ、フロントのメンバーが皆揃って披露するちょっとした踊りに驚きの小さな笑いが起こりました。肘を上げて、頭と同じくらいの高さで電球をくるくる外すような、それを交互に繰り返す動き。ちょっとコミカル。それはさておき、朗読の話。豊かさと貧困。ファーストクラスに乗る大金持ちはエコノミークラスの貧乏者を見下す。一方の貧乏者は「行くとこなんてどうせ同じじゃん、アホみたい」と感じてる。日本人は貧しいアジア諸国で辺りを走る車を見て「ボロボロ」とか「傷だらけ」とか「かわいそう」と言う。それって、ある意味ではファーストクラスの大金持ちとそう変わらないかもしれない。人の幸せは、持ってるものの新しさや高価さでは決められない。…という話。のすぐ後に「カローラⅡにのって」「痛快ウキウキ通り」という、小沢健二の曲の中ではとりわけマス向け資本主義な詞をもつ2曲が続くとは。それっていうのはつまり愛憎入り混じるというか、過去の自分も今の自分もまとめて肯定するというか、要するにそういうモードの只中にいま小沢さんがいらっしゃる。と解していいんでしょうか。それにつけてもカローラⅡには、何だってまたこんなに?と肩をすくめて笑ってしまいたくなるほど物悲しい、それはまるでドナドナのようなアレンジが施されていました。一瞬、何の曲だかわからなかったくらいの。
続く「天気読み」は、意表をつくディスコティークなアレンジ。そのスピード感を保ったまま「戦場のボーイズ・ライフ」「強い気持ち・強い愛」へなだれこみました。先ほどから少しだけ気になっているところ。それは、意図してか否かは定かでありませんが声を張る箇所を歌わないでいることです。♪猛スピードでいっそ地獄まで♪のところとか、聴きたかったな。いや分かってるんです、贅沢なお願いだということくらいはもちろん。「今夜はブギー・バック」ではステージ中央にミラーボールがするすると下りてきて、客席全員が16小節を担当。さすがにスチャダラさんは来てくれませんよね…。いや分かってるんです、贅沢なお願いだということくらいはもちろん(2回め)。
さらに朗読。自転車。安全ボケした日本人は、自転車に乗るときだけ無法者になる。一通逆走、酔っ払い運転、荷台に子供をそのまま乗せる、やりたい放題だ。それはアメリカなんかの都市部に顕著な「人間こそが万物の統治者、虫や動物はその従属物にすぎない」という考えとはまったく異なるように思える。それはなんだか大陸的で仏教的だ。…というような話。「夢が夢なら」はレゲエ的アレンジ、そして「麝香」!個人的に、まさかここが来るとは思いませんでした。うれしい誤算。
さらに朗読、笑いについて。人は、自分たちにしかわからないことで笑うときに声が大きくなる。それはどの国の人も同じだ。よくアメリカの笑いは大味だとか言うけれど、スタンダップコメディは実はコミュニティ毎に細分化されている。そのコミュニティに属さなければわからないことを言った瞬間、どっと大きな笑いが起こる。その楽しげな感じは、コミュニティに属さない者にも何となく伝わる。大味だと言われるアメリカの笑いは、それはきっとハリウッドの笑いを指してるんだろう。あれは世界中でヒットするために中心を狙っているから大味にならざるを得ない。自分と自分を含むコミュニティにしか伝わらない笑いがおもしろい、だなんて言うと排他的に聞こえるかもしれないけれど、そういう笑いもあっていいと思う。そんなふうに「分かるなー」って、にんまりしてもらうことを目指して作った新曲です。…という言葉に導かれて始まった曲は、なんと祭囃子的なメロディ。「はーよっこらしょ」という合いの手とともに、客席を照らす灯りさえも祭りの夜店みたいな色に。これには驚きました。にんまりしたけど、それ以上に驚いた。
「さよならなんて云えないよ」ではメンバー紹介、背後のスクリーンに映し出されるリハ映像に目が潤みました。「ドアをノックするのは誰だ?」では、念願だったあの踊りができて感無量。ギター一本で静かにサビだけ歌われた「ある光」は、できることならフルレングスで聴きたかったです。あの曲だいすき。続く新曲「時間軸を超えて」は、伸びやかでいながらしかもファンキーな、捉えどころが定まらない不思議な曲。いつか音源化される暁には、小暮さんのワウと沖さんのオルガンをバキバキに効かせたアレンジにしていただきたいです。ここでようやく、満を持して「ラブリー」へ。そして最後はふたたび「流星ビバップ」で暗闇に戻る、と。ここまで、なんと2時間15分近く出ずっぱりでした。ちょいちょい朗読挟んでるとは言え、すごいな体力。
アンコールは「いちょう並木のセレナーデ」「愛し愛されて生きるのさ」。最後の最後には全員で舞台に再登場、深々とお礼の言葉など。何と言ったらいいんでしょう。「時がたつ」というのはつまりこういうことかもしれない。と思いました。大人じゃないような子供じゃないような、そんなふうに歌ったひとも13年たてば変わる。もちろん、変わるところだけではなく変わらないところもある。過去の自分も今の自分もまあ、ありでしょ?ということかなあと。
ライブが始まる前もその只中も、そして全てが終わった今でもまるで何もかも夢だったんじゃないかって気がしてしまいそうな気持ちのままでいるんですが、そんな現実味のない時間において、うっかり涙を流しそうになった瞬間が一度だけ。朗読のどこかで「この町の大衆音楽の一部として存在できることを誇りに思います。ありがとう」と言われたときだけは心の底からじんとしました。こちらこそありがとう、と返したくなった。
そして、心からのお礼を言いたい相手がもうひとり。本来、今日この席にいるはずなのはわたしではない別の女の子でした。どうしてもチケットを手放さなければならない、という事態に陥った際にわたしを思い出してくれたこと。それがほんとうに嬉しかったです。ありがとうAちゃん。
胸がざわざわして眠れそうにないので、思い出せる範囲でメモをしたためました。なお、セットリストにはあまり自信がなかったため、よそさまの日記を参考にさせていただいております。文中に記憶違い等ありましたらごめんなさい。また何か思い出したら追加します。