almost everyday.

its a matter of taste, yeah

知らなかった

コンビニにて、深津絵里さん表紙のアンアンを発見。吸い寄せられるように読みはじめました(それにしても『脱力系』って、そのやる気のない括りはなんなんだろう)。インタビューを読み終えた後は軽く流しておしまい、のつもりだったのですけども。そのうちの1ページを目にした途端、思わず目をまるくしてしまいました。写真家の、藤代冥砂さん。自分はずっと何となく女のひとだと思い込んでいたのだけど、実際は男性なのですね。何だか、自分でもびっくりしてしまうくらい、驚きました。そうか、そうなのか。男のひとだったのか。しかし、何故に自分は彼を女性だと思い込んでいたのでしょう。
理由その1:名前が、なんとなく女性っぽい。
 ・・・・・・とは、言えないでしょうか。字面の雰囲気から何となく、幸田文とか森瑶子とかそういう感じの大人の女性をイメージしてしまっていたのですが。うーん我ながら安直。

理由その2:おしりの写真集が、あまりにも素でしかもチャーミングだった。
 ・・・・・・男性が、エロを介在させずに、女性のからだを写す。というのは、何だかすごくむずかしいことのような気がします。それを意識しないように努めたら、それはきっと医学写真みたいに無機質なものになってしまうんじゃないか、と思うのですよ。

理由その3:女性一人称の小説を書いていた。
 ・・・・・・確かswitch、だったと記憶しているのですが(ごめんなさい、うろ覚え)。「誰も死なない恋愛小説」という短編を連載しておられました。わたしが読んだ回は「女の身体を洗うのが趣味である恋人をもつ女」が主人公かつ語り手で、穏やかなのにどこか奇妙なストーリーが妙に心に残っています。しかしこれは、よく考えてみれば男のひとの文体だったような気が。簡潔できっぱりとした語り口だったもんな。

とは言うものの、勘違いの理由をいくら並べてみたところで事実は何も変わらないわけで。きりがないのでもうやめようと思います。でも、何なんだろう。このかすかな「裏切られたような気分」は。しかもこれ、前にも一度こんな気分になったことがあるような気がするんだよなぁ・・・。何だったろう。うー、気になる。

というわけで半日ばかり悶々と過ごしておりましたが、ようやっと思い出しました。わたしは中学生の頃、どういうわけか銀色夏生さんを男性とばかり思い込んでいたのです。「こんな甘ったるい言葉を使える(男の)人がいるなんて!」とか何とか想像(妄想?)しながら夢中になっていたのですよ。「ロマンス」なんて、カバーがぼろっぼろになるまで読んだし。それがある日、何かのひょうしで真実を知ってしまい落雷のごときショックを受けたわけで。それから何となく彼女の本を手に取ることもなくなってしまったのでした。・・・・・・何つうか、青かったんだなぁ。いろんな意味で。もしかしたら、ちょっとした恋のようなものだったのかもしれないです。うーむ。

今夜は手羽元ぷるぷるのポトフをつくります。いやっほう!週末。