almost everyday.

its a matter of taste, yeah

ぼくの暗黒時代(バイオレンス編)

わたしが小さかった頃、「目上の人に怒られたり殴られたりする」というのは、実に恥ずべきことでした。それらはもとを正せば「自分に非があったせいで」降りかかった災難なのであり、ということはつまり「自分さえきちんとしていれば」そんな目に遭うこともなかったはずだ、というのが子供心にも何となく理解できていたからです。もちろん、そうした事実を親に訴えるなんてことは絶対にしませんでした。「お前が悪いからだろっ」と更に強烈なカミナリを落とされるのが関の山ですものね。そういうものだと思っていました。10年前の今頃までは。
さすがにそろそろ忘れてもいい頃だろう。とは思うのですが、いまだに時折思い出しては胸がうずいて苦しくなる記憶があります。今朝、ひさしぶりにその夢を見ました。2年ぶりくらいでしょうか。目覚めたとき、髪の生え際や首すじにじっとりと嫌な汗をかいていました。中学時代のある一時期、わたしは毎日特定の教師に殴られていたのです。鍵のかかる教室に呼び出され、あるときは竹刀、あるときは拳で。いま思い出してみても、当時の自分は特に目立った問題を起こすこともなければ校則だってそこそこ守る、普通の中学生でしかなかったような気がするのですけれど。何がそんなに気に入らなかったのかは、結局わからずじまいでした。さんざっぱらぶん殴られてようやく解放されると、少し離れた廊下ではいつも別の先生が待っていてくれました。暴力教師はちょっとした権力者ゆえ、表立って逆らうことは誰にもできなかったようです。それでも救いの手を差し伸べてもらえた安堵で、その先生に寄りかかって少しだけ泣いたあと、自分の教室へ戻って何もなかったようにまた授業を受けるのでした。

それでもわたしは、この理不尽な行為を親に打ち明けることができませんでした。「何か自分に非があるのかもしれない」という不安がなかなか消えなかったからです。あるときひどく頭を殴られ、割れるような痛みに耐えられなくなったとき、わたしはようやくそれを話しました。親はひどく憤慨しました。それが、ほんとうに嬉しかった。それだけでいい、とさえ思いました。どうせ誰かに相談しても、また揉み消されておしまいだろうとうすうす感づいていましたから。耐えに耐え、いつしか呼び出しの回数も減り、ついにそれがなくなる頃まで、わたしは常に脅えていました。暴力教師が加齢に伴う鬱およびアルコール中毒であったらしい、ということを知ったのは、高校生活も終わりに近づいた頃だったように記憶しています。頭を殴られ続けたせいか、わたしの耳は今も、発熱時や真冬の夜などに突然聞こえ難くなります。しかし、すべては終わったことです。・・・・・・そう思おうと努めても、なかなか忘れられないことではあるのだけれど。

それでもまあ、さすがにもう時効ですよね。10年ですものね。そりゃあわたしも年をとるって話ですよ。暗い話でごめんなさい。朝っぱらからこんなバッドな夢を見てしまったせいか、どうにもこうにも八方ふさがりで、どこかへ今すぐこいつを吐き出してしまいたい!という欲求を抑えることができなかったのですよ。おかげで今日、1日なんだか沈みがちだったしよう。わたしの1日を返してちょうだい、暴力教師め。ぷん。

年を重ねると怒りの力も薄れるのかしら。だとしたら、とても嬉しいんですけど。

気を取り直して、3連休の予定。白河ドライブ、ラーメン紀行、早朝テニスに同伴、ビデオ鑑賞、などなど。・・・いくつ実行できるんでしょうか。結局いつもと同じようにうだうだ寝て終わりそうな予感が・・・。むーん。いやいや、アクティブに行きますよ。できるだけ。

そういえばこれ、地域限定ネタなのかもしれませんが。このところ、駅前コンタクトのCMが気になって気になってしょーがないです。ウェンツ瑛士似の若者が♪割れてもウォンチュー なくしてゲッチュー 俺のeyeは保証付き♪などと若干照れまじりで歌い踊る、あれです。どなたか、詳細をご存知の方がいらっしゃいましたらぜひとも教えていただきたいっ。一度聴くとやたら耳にこびりついて離れないのです。ああ。