almost everyday.

its a matter of taste, yeah

反省しております

まずはお詫びから。きのう書いた室伏さんのことについて、不快な思いをされた方がいらっしゃいました。言葉足らずな荒っぽい書き方をしてしまい、申し訳ありません。なので再度このことについて少し考えてみることにします(陸上競技およびオリンピック全般に興味のない方は、どうか読み飛ばしてください)。
はじめに、わたしがこの件についてもっとも疑問に思うのは「なぜ選手本人が現地に残らねばならないのか?」という点です。上位選手の金メダルが剥奪されて順位が繰り上がることになっても、彼の82メートル91という記録そのものは変わりません。表彰式がもう一度行われるわけでもありません。いずれ金メダルが彼の元に届くのならば、そこに留まらなければならない理由がどこにあるのでしょうか。柔道やレスリングなら誤審、体操やシンクロナイズドスイミングならば採点ミスが生じる場合もありましょう。自分の記録や得点そのものが変わるというなら、その場に残って何とか話し合いをしたい、決着をつけたいという気持ちもわかります。しかし今回の場合、渦中にあるのは室伏さん本人ではなく、あくまでアヌシュ選手とIOCです。事の発端が室伏さんの証言であったことを考えても、さらには彼の「ドーピングは断固許せない」という信念まで考慮に入れても、現地で彼にできることはもう残っていないのではないか?と思うのです(※この辺が素人考えなのかもしれませんが)。だとすれば帰国して元の競技生活に戻り、事の成り行きを静かに見守るべきではないか。と、わたしは考えました。もっとも、室伏さんの帰国しない理由が本人の意志なのかJOCの指示なのかそれとも単に閉会式に出るためなのかは分からないわけで、このあたりについて軽々しく言及すべきではなかったと反省していますが。

もうひとつ。「68年ぶりの悲願の金メダル」という期待の重みについても疑問を感じます。確かに、それは実現したらすばらしいことです。母国の選手が世界一の称号を手にしたと聞いて、喜びこそすれ腹を立てる人はそういないでしょう。だからといって、やみくもに金メダルを褒め称えるばかりの現在の風潮には違和感を感じずにいられません。これじゃあまるで「世界一」という結果だけが偉くて、そこへ至るまでの努力や苦労はどうでもいいみたいじゃありませんか。そんなことはない、苦しい練習に耐えて勝負に勝ち抜いたからこそ偉いんだ、と思う人だってたくさんいるのは知っています。それでもやはり「日本のメダル獲得数は現在○○個!」と笑顔で報じるアナウンサーや「今回は金を○○個獲らなくては」などと重々しく語る競技関係者を見るたび、「これはちょっとおかしいんじゃないのか」と思うのです。もちろん、かく言うわたしも、日本人選手が金メダルを取れば「うおー君は日本の誇りだー」と興奮しますよ。しかしその一方で、銀メダルを取ったのにインタビューで「残念でしたね」と言われてしまう選手を見たら「なんて気の毒なんだ」と思うこともまた事実なのです。銀メダルを取ったのに、世界で二番目なのに、そもそもオリンピックに出場できるだけでもじゅうぶん凄いことなのに、なぜ第三者から「残念でしたね」なんて言われなきゃならないのでしょう。それがいちばん気の毒です。そんなこと言われなくたって、本人がいちばん悔しいのは当たり前なのに。

論点が大幅にずれてしまいましたが。わたしの個人的な意見を言うなら、金メダルはあくまで「目標」や「結果」であってほしいです。少なくとも「目的」であってはいけないと思います。それじゃ本末転倒ですもの。ひどい言い方をすれば、競技終了後から今日までの室伏さん(≠JOC)はその「目的」を掴み取ることに執着しているだけのように見えました。「選手はクリーンな状態で試合に臨むべき」という会見での発言さえ、後づけの大義名分のように聞こえました。それでわたしは、こうした諸々をひっくるめて「納得がいかない」「後味がわるい」という表現を用いたわけです。誤解を招く書き方だったことについては、とても申し訳なく思っています。昨夜フォームメールを下さった方、これで納得していただけたでしょうか。お名前もメールアドレスも分からないのでこちらに書いてしまいましたが、まだお怒りが収まらないようでしたらどうか返信先アドレスを明記のうえ再度ご連絡ください。よろしくお願いします。

昨夜あんなに寒かったから。だからこそ、続けて食べる気満々でたっぷりシチューを作った(※鍋ひとつ分)というのに。今日のこの暑さはいったい何なのでしょう。天のいやがらせ?かなしいです。頼みの綱の冷凍庫は既にもう満杯ですよー。困りました。どうしようかなぁ。とりあえず食べられるだけは食べて、あとは明日また考えることにします。おやすみなさい。