almost everyday.

its a matter of taste, yeah

話は分かるのだけど 私は君を知らないのです


まる1年めのその日を控え、いよいよ周囲がばたばたしてきました。あの日を忘れない忘れたくない、そういうふうに考えるひとがいるのはもちろん分かってる、優しさも思いやりも伝わるときには伝わってる。けどね、忘れたくても忘れられない側からすると、それってたまに少しつらいときもあるんだよ。そこは分かってもらえませんか。ねえ。
今月号の新潮。正直言って、表紙を見た瞬間に首をかしげたくなりました。あらあら、こんな無粋なことをなさるなんて。震災によって作家の内面に何らかの変化がもたらされたとすれば、それはいつしか作品に滲み出てくるものでしょう。その時を待たず、節目だからと直接的な言葉を集めて「100年保存版」と銘打つだなんて、作品を読み解く過程を現場自ら放棄しているように思えて仕方ないのです。作家の言葉を、ひいては物語の力を見くびってるんじゃないの?と文句のひとつも言いたくなるというか。そんなことない?
ネット歴がこう長くなると、知らないひとからお声がけいただくことがちょいちょいあったりするのですが。少なくとも自分の場合、未知の相手にメールで何かをお願いするときは何より先にまず名乗ります。そして「なぜあなたにこういうことをお願いするのか」という理由を説明します。どちらも、ごく、当たり前のことだと思います。職場はもちろん、学校だってそうでしょう。
これがTwitterSNSでの軽いやりとりなら、逆に名を明かさないのが当たり前です。でも、メールはそうじゃない。当方、知らないひとからの一方的なリクエストを警戒する程度には知恵がつきました。そこの辺りをご理解いただければ幸いです。
ふう。今日はなんだか大荒れですね。できることならいつでも機嫌よく笑っていたいな。おやすみなさい。