これは臨床事例としてのメモ。
泣かないことに決めた理由はごく単純でした。自分よりつらい思いをしているひとはたくさんいる。自分よりいそがしい思いをしているひともたくさんいる。だから弱音は吐かないし泣かない。そうするより他になかったとも言えますが、いちど泣いたら全てに屈してしまいそうで、そしたら二度と立ち上がれなくなりそうで怖かった。というのもまた事実です。
それはいきなり何の前触れもなくやってきました。
けさ早く、まだ誰もいない職場で書類を読んでいたときにふと、わが組織のトップからの言葉が目にとまりました。「…これを期に、職員の皆さんにはより一層頑張っていただいて」云々という、何ということもないただの結びの挨拶みたいな言葉です。にもかかわらず、それが何だか妙な感じに、魚の小骨みたいに喉につまって息苦しいと感じました。あれ、おかしいな。と思いながらもさらに書類を読み進め、それからしばらくしてふと気づいたんです。自分が泣いていることに。
驚いたのは、悲しいとか悔しいとかいう感情はおろか、鼻がつんとするとかいう身体的予兆すらなく、ただぼろぼろと涙だけが流れてきたことでした。あんまり妙なので、自分はついに泣きかたさえも忘れる境地に達したのかと思った。いや待てそれはないだろう。ならばこれって結局なんなんだろう、と泣きながらも考えてようやく思い当たったのは「頑張れって言われることに疲れてきてる」のかもしれないなあということでした。
まだまだたくさんやれることはあるし、それ以前にまず至らない点が多々あるのも分かっています。息切れしている暇などないということも。でもね、わたしたち、これから何年何十年かけて全てを立て直していくんです。逃げ場がないんです。あとどのくらい、どれだけ、どんなふうに頑張ったら元に戻れるでしょうか。皆に認めてもらえるでしょうか。今はまだわからないです。先が見えない。
時々でいいです。眠る前に頭を撫でて「今だけは頑張らなくていいよ」と言ってもらえたら、こんなにうれしいことはありません。おやすみなさい。