almost everyday.

its a matter of taste, yeah

多十郎殉愛記

  • 仕事終わりに長町で多十郎殉愛記。遠い昔に父の膝の上で観た記憶がおぼろげに残るばかりの木枯し紋次郎を撮った中島貞夫、御歳84才。京都国際映画祭名誉実行委員長にして太秦のレジェンドと崇められる彼が20年ぶりに長編に挑むと聞いて、公開を心待ちにしておりました。チャンバラはもとより時代劇に分類される映画を一切スクリーンで観たことのない自分にはきっと斬新な体験となるはず。それも公式解説によれば「カットを割らず、CGを使わず、役者の動きのみで生死を賭けた闘いを撮る」んだそうですよ。何それ凄そう。
  • …などとめちゃくちゃハードルを上げて臨んだわけですが、結論から言うと映画の質感はかつてお茶の間でみた時代劇そのものでした。こう言ってしまうと大したことはなかったように聞こえてしまうかもしれませんが、実際はその逆。町の人々や侍たちの台詞まわし、惚れた腫れたを描きすぎない演出、殺陣における静と動そして余白を最大限に生かした音響効果とカメラワーク。そうしたあれこれが明らかに現代劇とは異なる、時代劇ならではの様式美として承継されていると感じました。「そうそう、これこれ。時代劇ってこうだよね」と膝を打つ瞬間の連続でした。
  • その一方で、人々の暮らしやたわいもないやりとり、中心人物の人となりを描く場面では現代にアップデートされた部分もあったように思います。親の代からの借金に苦しみ「ちょうど頃合いが良かったから」という理由で脱藩し世捨て人同然に振る舞う多十郎は生活に追われて疲弊する現代日本の労働者にも重なるし、愛した男に唯一無二の存在たる弟を託されるおとよはか弱いだけの女ではない。こうした設定に命を吹き込んだ高良健吾の目にはどこまでも生気がなく、しかしひとたび剣を構えればどのシーンをどの瞬間で切り取っても完璧に画になっていました。そして、こんなに艶やかで色っぽい多部未華子は初めて。
  • 艶やかと言えば、あぶく銭を得て磊落に振る舞う多十郎が女の背中に絵筆を走らせる場面の色気ったらなかったですね。実際には触れてさえいない、濡れた筆が背中をすべる感触を思い浮かべてぞくぞくしました。あれはたまらん。
  • 先発は安樂。俺たちがその帰還を心待ちにしていた、あの、バケモノじみた怖い安樂がやっとやっと帰ってきた…!と静かな喜びに打ち震えたのは5回まで。6回にノーアウト満塁のピンチを招き、ワンポイント高梨を経て青山に2失点で何とかカタをつけてもらったあたり、もうちょっと堪え性を身につけていただきたいものです。とは言え、千賀相手にこれなら十分よく戦ったとまずはガッツを讃えたい。明日も勝ちましょう。おやすみなさい。