almost everyday.

its a matter of taste, yeah

アメリカン・ユートピア

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  • チネでアメリカン・ユートピア。デイヴィッド・バーン×スパイク・リーという字面の圧に気圧されながらも、なるべく真っさらな状態で臨みたく例によって事前情報をシャットアウトした状態で劇場に赴きました。
  • 冒頭、脳のプラスチック模型を手に語るバーンを目の当たりにして「え?ここから何を始めるつもりですか?」と大いに困惑した上で、まず最初に度肝を抜かれたのは2曲目"I Know Sometimes a Man Is Wrong"における若きパーカッショニストの堂々たる風格。直径が肩幅ほどもあろうかという大きなタンバリンを自在に操り、小柄な体躯でリズムパートを担う姿に目を奪われっぱなしでした。
  • というか、本作のバンドメンバーは誰もかれもが芸達者で、余裕綽々の笑みを浮かべながら入れ替わり立ち替わり異なる楽器をいとも易々と鳴らしてみせるばかりか、時に隣のメンバーの楽器を叩いたりもして、マーチングバンドさながらの複雑なフォーメーションを実にさらりとやりおおせているように見えます。それが何だかとてもよかった。振り付けのすべてがぴたりと決まり、本作のマエストロたるバーンを中心かつ頂点に据えたディレクションがなされているにもかかわらず、「一糸乱れぬ」とか「統制の取れた」とかいう形容がどうにも似つかわしくないんですよね。かと言って緩いとか怠いとかいうのとも違っていて、一定の緊張感がきっちり保たれているんです。まずは、それがとっても良かった。
  • スパイク・リーが本作で成し得たかったことはあまりにも明白で、"Hell You Talmbout"における一連の演出がそれにあたるわけなんですよね。ウィーウィルロックユーにも通じる、弦と鍵盤を一切排した声と打楽器のみのド直球アプローチ。被害者達の写真に名前は赤い文字。これをみた瞬間、「ブラック・クランズマン」最終盤におけるリアル現代アメリカの描写の数々を思い出してしまって少々げんなりした、というのが正直なところです。いや、もちろん大事なことよ?それは分かってる。けれども、揃いのグレーのスーツを身に纏って歌い踊るこの非日常の極みにおいて、あれほどまでにあからさまで情け容赦ない現実を提示することは、作品世界への没入を妨げるトリガーになりはしないか?という疑問がどうにも消えて無くならなかったのでした。
  • それからもひとつ、これはバーンとリーの出自を思えば致し方ないことではあるのだけれども、移民の坩堝たるバンドメンバーにただの一人もアジア系がいないという事実には当事者のひとりとして多少の置いてきぼり感を覚えずにいられませんでしたよね。仮にもし、本作の撮影がアメリカ大統領選挙よりもっと後のコロナ禍を経た後だったならば、きっとその辺配慮がなされていたと思うんです。…というのはいくらなんでも希望的観測に過ぎるでしょうか。
  • あとはそうね、身も蓋もないことを言ってしまうとですね、製作側の思惑が選挙や差別に向いている前提での話ではあるんですけど、オーディエンスが立ち上がって熱狂したのはI ZimbraでありBurning Down The Houseであり、つまりトーキングヘッズ時代の曲ばかりなんですよね。そこらへんのさじ加減、こういう作品だとなおのこと難しそう…!と震え上がった次第であります。エンドロールがデトロイトの高校生による合唱だったのはすごく良かったなと思う。

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  • 昨日の余韻も醒めやらぬ中、出演バンドの音源を聴きながら散歩に出たらCompact Clubが昨日のライブをもってボーカル以外全員脱退、つまり昨夜が現体制最後のステージだったと知り大いに驚くなど。そんな貴重な場に立ち会っていたのか、わたしは。忘れたくない、覚えていたい。
  • 先発は早川。勝ち越すまでが長かった、とは言え酒居に勝ちがついたならそれはそれで喜ばしいです。このカード、これにてようやっと一勝一敗一分けのイーブンに持ち込めた…おやすみなさい。

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