almost everyday.

its a matter of taste, yeah

僕の体はこの星を更に遠く離れて

マイケルジャクソンにまつわる思い出、のようなもの。
わたしは当時6歳くらいで、父親が読んでる新聞を横から眺めるのが好き、というよりはそれが朝の習慣のようになっていました。姉や父の本をこっそり持ち出してぱらぱらめくる、といった遊びもよくしていたので、漢字はほとんど読めないながらも何となくその文章に漂う雰囲気が分かったような気になっていました。
それであるとき、こんな記事を見つけました。それは、どこか遠くを見てるみたいにきらきら光る目でつんとすました表情で、ゆるりとウェーブした前髪が濡れたようにつやつやしている外国人の男のひとのちいさな写真が刷られた隣に「甘いマスク?」という見出しのついた、さほど大きくない記事でした。今にして思えばそれは、新聞の政治経済欄の隅に箸休めのように取り上げられたいわゆる海外スターのゴシップで、整形疑惑がうんたらかんたら、とかいう内容だったのでしょう多分。とにかくそれが、わたしがマイケルジャクソンというひとの存在を初めて知った瞬間でした。
そんなことをどうしていまだに覚えているのか?というと、幼稚園児の思考回路では「甘いマスク」という言い回しがどうしても理解できなかったからです。甘いってことは食べものなんでしょう?マスクを食べるの?食べたら甘いの?じゃあこのひとはマスク被ってるの?そのマスク外して食べたら甘いの?というようなことを、ものすごく真剣に考えた記憶が今も鮮明に残ってます。あまりにも分からなくて母親に「甘いマスクって何?」と訊いたら「それは『かっこいい』ってことよ」とそっけなく返され、ますますわけがわからなくなったことも含めて。BADを聞いたのもムーンウォークを見たのも「帰ってほしいの」を聞いてその歌声の主が甘いマスクのあのひとと同一人物だと知って度肝を抜かれたのも、それよりずっとずっと後の話です。
そんなわけで、わたしはいまだに「甘いマスク」という言い回しを見聞きするたび、そのときに見たマイケルジャクソンのことを思い出してしまうのであります。そして逆に、マイケルジャクソンのことを思い出そうとしても「甘いマスク」がもれなくセットで思い出されるという。刷り込みってほんとうに怖いな、と思います。そんな話。
仕事を終えたら大急ぎで帰宅、買出しすませて簡単なごはんを用意して友人と家呑みしてました。こうも暑いとビールがぐいぐいすすみます。あらかじめ冷やしておいた端麗グリーンラベル500ml6缶パックを順調に飲み干し、友人が持参したプレミアムモルツもすぐに空いて、いよいよ飲むものがなくなった後は氷くだいて梅酒ロックも飲みました。ひとり2リットルくらい飲んでる。いえーい。楽しいでーす!おやすみなさい。