- 朝いち、チネにて葡萄畑に帰ろう。年末によく流れていた予告編をみる限り、重厚な人間ドラマとばかり思ってましたが実際はギャグすれすれのシニカルなおとぎ話でした。ジョージア映画を観るのはたぶんこれが初めてで、いろいろ勝手が違うので驚いたり呆気にとられたり。
- 原題はThe Chair。移民追い出し省(!)の大臣・ギオルギが特別に誂えた椅子、その名もボスチェアがうやうやしく執務室に運び込まれる場面から物語は始まります。で、この椅子がふわふわ宙に舞い上がったり自らの意志で動いたり、しまいにはストーリーの説明までしちゃったりして次第に狂言回しと化していくんですね。正直なところ、頭にハテナがいっぱい浮かぶ。めちゃくちゃ浮かぶ。気を取り直して映画に集中しようとするも、突っ込みどころが満載すぎてギャグなのかマジなのか判断に困るところが多すぎるのです。
- まず、ギオルギのオフィスは中央官庁。それも「移民を追い出す」というデリケートかつシビアなミッションを課されている立場のはず、なのにどうも様子がおかしいんですよね。そもそもスタッフがさほど忙しそうには見えない*1上、いわゆるノンキャリと思われる若手はなぜか全員インラインスケートを履いて仕事してるし、何と言っても大臣のギオルギからして執務中(ですよね?)に趣味のトランペットを吹いたりしてますからね。いや、仕事しろよ仕事を。見回り行っとけよ、ってわざわざテレビ電話越しにせっついてくる首相じゃなくてもそう思う。
- さらには、移民追い出しの最前線に配置される屈強な黒ずくめ部隊もあちこち何だか詰めが甘いし、とある事件解決のため終盤に投入される警察に至ってはどいつもこいつもただのザコ。唯一、登場時点では補佐官に甘んじていたいかにも曲者っぽい小男が政務官→大臣→首相へと見事に成り上がっていくさまとそのあからさまな小悪党ぶりが際立ってました。全体的に、政治の世界がものすごく戯画的に分かりやすく悪そうな感じに描かれているのです。それはまるで、勧善懲悪の絵本のように。
- 映画というフォーマットで政治を扱う場合、通常はここまで話を矮小化しないというか、どちらかと言えばもったいつけて小難しい感じに描くことのほうが多いように思います。ここまでやると何だかすごくバカっぽいというか「この監督、政治のことなんて何も知らないんじゃないか」と軽く見られる危険性が少なからずありそう。しかし、本作の監督エルダル・シェンゲラヤは監督業の傍ら政界にも長く身を置き、ジョージア国会副議長まで務めた人物。つまり、母国のすべてを知り尽くした上でここまで徹底的に政治の世界をこき下ろしているわけで、これを踏まえて改めて考えると空恐ろしいほどの皮肉と諧謔に身震いするという話なのです。猛毒。公式サイトのシェンゲラヤ監督はいかにも柔和な好々爺っぽいけれど、目の奥はきっと笑ってないと思う。積年の恨みのひとつやふたつ、絶対あるはずです。
- 悪役はとことん悪く、味方はどこまでも情に厚く善き人物として描かれるのも特徴的で、このちょうど真ん中にあたる義姉が最も人間くさくパワフルに描かれているのが興味深かったです。新妻ドナラや老いた母がひたすら健気なのに対し、颯爽とバイクを乗りこなし異邦人の恋人を得て父に歯向かう娘アナは登場時こそ新しい女として描かれていたというのに、新しい命を宿した途端脇役に成り下がってしまったのが残念でした。革ジャン着こなし嫌なジジイにキリッと中指立ててみせるクールな女のままお母さんになるところが見られたらなお良かったな。ギオルギ母の「人のものなんて忘れてしまいなさい。お前の家はここよ」という台詞は最高だったけども。
- 耳なじみのないジョージア語でただひとつ聞き取れた言葉は「ガーマルチョバ」でした。そうか、これってジョージア語だったのか。たまに地元を訪れるパントマイムユニットがひらがな表記でこの名を使用しており、なんとも不思議な響きだなあと思ってました。字幕の文字も一般的なアルファベットとは似て非なるフォルムで、普段はあまり感じられない異国情緒が魅力的でした。ギオルギ役の俳優さんは野間口徹+15歳くらいの雰囲気があるな、とも。
- 最後にもうひとつ。公開に際し監督から「この映画をジョージアのワインにたとえるならば、有名な辛口の赤ワイン『ムクザニ』です」とのコメントが寄せられているのですが、最寄りの劇場ではこのムクザニを含む3種のジョージアワイン飲みくらべセットが販売されるというなんとも粋な試みが行われていました。こういうのって大好きです。帰宅後に鏡をのぞいてみたら舌が真っ黒に染まっていて、ブラックジョークまみれの本作にはいかにも相応しいと納得したんでした。その後の話はまた後で。