almost everyday.

its a matter of taste, yeah

オールモストピープル almost people

  • 午後、チネでオールモストピープル almost people。誰ひとりこちらを向いていないキービジュアルの奇妙な静けさと不穏さが気になって劇場へ足を運びました。例によって事前情報をほぼ断ったまま赴いたのですけど、これってオムニバス作品だったんですね。へええ!
  • 「あらかじめ感情の欠けた4人きょうだい」はそれぞれ喜び・怒り・楽しさ・寂しさが欠けているという設定ですが、長男長女次男に関してはどれかひとつと言うより総じて感情の起伏に乏しく、そこに起因するディスコミュニケーションを描くというテーマの連なりを感じました。唯一毛色が違って見えたのは末っ子次女で、ひとりだけ母親が違うという生い立ちや酒に弱そう(他のきょうだいは各々何かしら酒を嗜んでた気がする)な設定も効いてますね。
  • 「何かを失うことで生じる空洞」によってもたらされる空虚さや渇望感とは決定的に異なるであろう「最初から自分がそれを保有していないことを知らしめさせられる焦りや不安」、つまり「もとより存在していないもの≠無」を描くのってめちゃくちゃ挑戦的な試みだと思うんですけど、当事者と周囲の在りように着目すると作家性の違いが浮き彫りになっておもしろいです。わざわざ車を借りてまで休日に連れ出してくれる友達(仕事仲間?)がいたら嬉しいし、糾弾する側に怒りがあればそれを向けられる側にも怒りが生まれて然るべきだし、ぎこちないダンスや作り笑顔にも黙ってそっと寄り添うだけでも歩み寄りの先に楽しさを共有できるかもしれないし、性別や年齢差をも超える理解者をいつか失う日が来たらきっと寂しい。と、ごく月並みな喜怒哀楽を有するいち観客はそんなふうに思いました。
  • 4話を通じて特に印象的だったのは、物語が不穏な展開を迎える際のズギャーンとした劇伴。怒りのパートでは特に音圧が増しててこりゃまたやりたい放題だな、ってかいつかどこかで確実に聴いたことあるぞこの感じ…と帰宅後クレジットを読んで納得。菊地成孔〜!そうだった、冨永昌敬監督作品いくつかこんな感じだった!と勢いよく膝を打った次第であります。どうりでね!