almost everyday.

its a matter of taste, yeah

性的欲求と知的欲求の相関関係について 

昨夜PCの電源を落としたあと、久方ぶりで兄と慕う年上の友人(以下、Aと表記)よりメールが届きました。このひとの邦楽およびその周辺にまつわる知識はおそろしく広く深く蔦のように絡み合っており、彼を超える人力データベースはわたしの知る限り関西在住の某氏くらいしか思い浮かばないほどなのですが、それはさておき昨夜もまずはそれ系のネタでひとしきりやりとりを交わすこと小一時間。Aとメールを始めたらまず間違いなくチャット状態に突入することは分かっていながら普段以上に切り上げ時を見計らうことができず、話題がどんどんグダグダになってきた頃(緒川たまきの『うそつき』だけで3往復はやりすぎかと思います、自分でも)ようやく「先月彼女と別れてさー」という本題が出てきたのでした。いわく、「知人の紹介で知り合って」「半年くらい一緒にいた」けど「どうしても相手の本音というかツボが見えてこなかった」そうで、最後は「自分ばかり一方的に喋るのにくたびれた」のだとか。

それを聞いたわたしは最初、単純に「知的欲求みたいなもんを満たしてもらえないのが物足りなかったのかなぁ」なんてことを思いました。つまり、溢れ出ずる知識を会話の端々にちりばめても「わあ、すごーい」等満足のいく反応を返してもらえないばかりか「それなーに?」と興味を示してくれることさえない、そういう状態が我慢ならなかったのかしら?と。しかし問題はそれ以前のコミュニケーション不全にあったらしく、古い言い方をするなら「のれんに腕押し」みたいな感じだったようです。全てにおいてリアクションが薄いというか、表情に乏しいというか。そもそもそれで付き合いが成立するんだろうか?とわたしなどは不思議に思ってしまうのですが、それはA側からみた話だけを頼りにイメージを膨らませているせいなのだろうな・・・と一応わかったつもりになってみても、やはり納得いきません。紹介してもらった手前むげに断ることもできない、っつう事情はあるにせよ、それにしたってよく半年も粘ったなぁ。すごいなぁ。

Aはわたしとのやりとりを「すごく楽しい」と言います。それはわたしも一緒です。細かいネタの応酬というか、ヒントを出したらすぐに「わかった、あれでしょ?」と答えが返ってくるその間合いというか、そういう呼吸の気持ちよさみたいなものを共有しているのだろうな、という気はしています(もちろんそれ以外の要素もありますが)。がしかし、それと同時に、こういう気持ちよさを恋愛の場に持ち込むのはとても難しいだろうなぁとも思うのです。なぜならこれは恋愛初期の「何がなんだかよくわからないがうっとりと胸が高鳴る感じ」とは対極に位置する「覚醒しきったクリアな快楽」だからです。Aにしたってそんなことにはとっくの昔に気がついていて「別に音楽の話なんかできなくたっていいんだよ、気が合えばただそれだけで」とは言うのですが、その一方で「でも話が分かるならそれに越したことはない」とも願っているらしく。ぜいたく言うなよーとつっこんでみたところで、自分ちだって事情は似たようなものなのです。相方はわたしのCD棚の中身の9割を知らないし、わたしはわたしで相方の好きなダービー馬の9割を知らないままでいるのですから。それでも一緒にいて楽しければそれがいちばんでしょうよ。と強がってはみても、それでもやはりできることなら・・・という望みは尽きないのであります。Aとのメールを終える際の決まり文句、それは「できれば5年前に知り合いたかったよねぇ(笑)」です。それでもやっぱり付き合わないだろうけどな!おもしろすぎて。

何だか自分でもびっくりするくらい、きつきつにがんばって働いた1日でした。自分の仕事だけじゃなく、休暇中の2年めくんの宿題までとっかして仕上げるくらいの勢い(どのみち、向こうがギブアップしたらこちらに回ってくるはずの案件でしたが)。それもこれも何もかも明日のため。さくっと仕事を切り上げて、生APARTMENTさんを堪能してまいります!たのしみー。今からすでにどきどきしちゃってもう大変ですよ。明日までのがまん。ふはー(深呼吸)。

お風呂あがりになんとなく見てしまったいとうまい子波田陽区の1万円生活が悶えるくらいにはずかしいです。うっかり来週も見ちゃいそうじゃないか!どうしてくれる。おやすみなさい。