- 最初はただの偶然だと思った。そうとしか考えられなかった。
- そもそもの発端である旧友Aの久々の電話にも、最初は何ら疑問を感じなかった。数年分の世間話と近況報告を終えた後、いかにもついでのようにさらりと彼女はこう訊いてきたのだ。「ところで、旦那さんは元気にしてる?」夫とAに直接の交流はないが、わたしを介して何度か顔を合わせたことはある。
- 「んー?元気だよ。今日も野球見に行ってるよ」「それはよかった。にしても本当に楽天ヤバいね」「…それは言わないで…」「いやーごめんごめん。それでさ、昨日うちの近くで旦那さん見たような気がしたんだけど、多分あたしの気のせいだわ。一応伝えとこうと思って」彼女の住む街はここから100kmほど北にある。車なら片道2時間、遠くはないが近いとも言えない。
- 「昨日なら普通に出勤してたし、たぶん人違いだろうね」と話を切り上げた後、球場から戻った夫にこの話をした。「そういえば、さっきAから電話があったよ。昨日あなたに似た人を見たよって」「へえ、そう。いるんだねえ、似たような顔が」
- 字面だけならなんてことはないやりとりだった。しかし、返事の間合いや声のトーンに普段とは違う何かを感じた。知りたくないことも感じ取れてしまうくらいには同じ時間を共有してきたということだろうか。
- 翌朝、夫のスーツをクリーニングに出そうとポケットを探っていたら1枚のレシートが出てきた。そこにはAが暮らす街のコンビニが印字されていた。買ったものはタバコとコーラ。いずれも、長距離運転時に夫が手放さないものだ。
- それでも、このときはまだ偶然を信じたい気持ちでいた。夫は正直で嘘がつけない。仮にAの言ったことが事実だとしても、それを否定するからには何らかの事情があるのだろう。ならばそれを尊重したいと思った。
- それから数日、立て続けに妙なことが起こった。義母からの電話はさほど珍しくないにしても、盆暮れ正月以外めったに言葉を交わさない義父からのメールは明らかに異常事態と思われた。極めつけは見知らぬカード会社からの請求だった。繰り返される弁明はその都度新たな綻びを生み、もはや整合性の欠片もなかった。
- 金か女か、はたまたその両方か。いずれにしても何かしら重大なトラブルを抱えているのは間違いない。あとは本人が真実を話すのを待つばかりだった。
- 以上、「例のエンブレムにまつわる騒動を一般家庭に置き換えて1,000文字以内にまとめなさい」という架空の現代文テストを想定して書きました。言うまでもありませんが完全にフィクションです。
- ※念のため補足
- 夫はスーツを自分で管理しています
- 夫はコーラを好みません
- タバコも吸いません、というよりむしろ嫌煙者です
- 義両親との行き来は普通にあります
- 金のトラブルも女のトラブルも抱えてないです、多分
- さて。ここで押さえておくべきポイントは3つ、「最初は信じてた」「後からなんかいろいろ出てきた」「真偽はどうあれもはや信じられそうにない」あたりでしょう。家庭においても社会においても、失った信頼を取り戻すのは非常に困難なのです。それも、個人より組織のほうがきっとずっとものすごく大変なはず。個人に全ての責任を押し付けるのではなく、組織として然るべき説明がなされてほしいと思います。日本人であることを恥じたくなるような結末になってしまったら、それはとても悲しいので。
- 先発は則本。おお、今日は勝ちましたか。おやすみなさい。