almost everyday.

its a matter of taste, yeah

あなたに見せる涙はないのだ

最近よく考えること。

わたしという存在は常にゆるやかにすり減らされています。その原因は困難な仕事だったり、それに付随する剣呑な人間関係だったり、その他もろもろのできれば避けて通りたい厄介なものごとたちです。そうしたものごとは常に休みなくおそいかかってくるから、すり減らされて血を流すことがないように硬い鎧を身につけたり分厚い眼鏡をかけてみたりと努力を重ねているつもりです。だけど、実際に厚くなってるのはツラの皮だけってことに気付いて愕然としたりすることもあります。そんなふうに余計な垢や淀んだ澱のようなものを身体じゅうに張りつけたままでいても、いや、そういうものが増えれば増えるほど、自分の中にある芯や核に近いものがどんどん溶けて損なわれていくような気がして恐ろしいのです。そもそも自分に「芯」や「核」のような揺るがない、確固としたものがあるのか?ということさえ疑わしく思えてしまうような、足もとの地面がぐらぐらと緩んでくるような恐ろしさです。

命の危機に直面したトカゲが尻尾を切って逃げるように、苦しくなったら「それがなくてもとりあえず生きていけるもの」「いずれ再生するもの」を捨てて助かることができるならいいのに。と思うことがあります。けれど当然ながら、それがどんなものであれ、失うことには痛みが伴います。鎧や眼鏡を外すには勇気が要るし、垢や澱をすべて落としたらきっと心もとない気持ちになるでしょう。でも、そうすることで芯や核が鍛えられることもあるのかもしれません。今はまだ怖くてできないけれど。

今のところは、たとえば、初めて聴いた音楽に心をふるわされたり、誰かの何気ない言葉に胸ぐら掴んで揺さぶられたり、いつもと同じ白いごはんがやけにおいしく感じられたり、そういうひらめきのような瞬間たちに守られていると感じることが多いです。わたしの中のやわらかい部分、芯や核を支える肉や血の部分は、現時点ではまだ正常に動いている。過剰にすり減らされてはいない。と自分に言い聞かせなくても平気でいられればいいと思います。

とりあえず、苦しい時に悩むことから逃げない程度の強さを手に入れることはできたのかなあ。おやすみなさい。