桃と田んぼと三ケタ国道。それがわたしのふるさとでした。
家から半径数キロほどは見渡すかぎり真っ平ら、そのど真ん中を片道一車線の国道が貫いていて、ぽつりぽつりと集落がある。あとは田んぼと桃畑しかない。春は水をたたえた田んぼがきらきら輝き、夏から秋は収穫シーズン、冬は雪こそ積もらないけど容赦なく寒い。そんな土地に生まれ育ち、一人暮らしを始めるまでの20年あまりを過ごしました。
国道を西へ走ればそこそこ大きなスーパーがあり、コンビニもあり、1時間に1本とはいえ電車だって走っている。どこにでもある中途半端な田舎町です。特産品は米、そして桃。わたしはこの地で桃に関して、世間一般の常識から大きくかけ離れたイメージを刷り込まれたまま大人になってしまいました。
いったい何がどのように常識からかけ離れていたかというと、端的に言って、桃の商品価値を根本から見誤っていました。わたしの実家は田畑を持たないサラリーマン家庭、ご近所さんは大半が桃農家。すると何が起こるかというと、毎年夏に食べきれないほど大量の桃がわが家にやってくるのです。
皆様もご存知のことと思いますが、桃は大変デリケートな果物。ほんのわずかな傷ひとつついただけでも出荷できなくなってしまいます。大抵どこもそうした桃を持て余しているため、畑を持たないわが家にこれが日々託されるのです。
毎朝毎晩せっせと食べても、まず追いつかない。台所の隅で、一昨日もらった桃が熟れて潰れて甘い匂いを放っている。あああれも早く食べなくちゃ…そしてまた新しい桃が届いた…どうしよう…?というのがわが家の夏の食卓の風景でした。
桃は貰うもの。というより、もはや勝手に届くもの。犬も歩けば棒に当たると言いますが、外を歩けばふつうに桃が落ちていました。桃だけではなく、実を結ぶ前の葉も花も枝も、手を伸ばせばすぐ届くところにありました。桃のある風景は日常であり、いつも当たり前にそこにあるものでした。
そうした環境で育ったため、よその土地で桃があれほど高値で取引されているとは夢にも思わなかったのです。高校時代に遠征で他県を訪れた際、おみやげ屋さんで桐の箱にうやうやしく鎮座する桃を見たときなどは「おまえ、何かの間違いだろう?」とさえ思いました。バカ殿様の衣装をまとった志村けんが渾身のアイーンをキメているかのような、開き直った悪ふざけ感がスリリングすぎていたたまれなかった。それほどまでに桃は身近で、親しみやすく、夏がくるたび寄せては返す波のような存在だったのです。あの年までは。
内陸部にあるその町は、津波被害を受けることなく避難指示も出されていません。それでも、桃の評価は地に落ちました。爆発したあの発電所と同じ「福島」で採れた桃だから。その、たったひとつの重たすぎる理由により、幼い頃から慣れ親しんだあの甘い桃は「汚されたもの、身体に悪い影響を及ぼすもの」として忌み嫌われる存在になり下がりました。
当時のわたしは既に地元を離れ、復旧のため激増した仕事に日々奔走していたため、他のことを考える余裕はありませんでした。しかし、事故から最初の夏を迎え、桃の価格の暴落を知らされたときは胸のふさがる思いがしました。「もんもかっせ~傷だげんちょも*1」と日焼けした顔でにこにこ笑うご近所さんが思い出されて、泣けて泣けて仕方なかった。やり場のない怒りともどかしさに苛まれる日々でした。
あれから7年。復旧・復興が確実に進み、桃をはじめとした農産品はいずれも所定の検査を経て出荷・流通しています。基準値を超えるものには出荷制限・廃棄等の措置がとられ、市場に出回ることはありません。
【参考】福島復興ステーション/産地における検査の仕組み
http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/89-2.html
つまり、近所のスーパーや果物屋さんで見かける桃は、しかるべき機関による検査を経て安全と判断された上でそこに届いていると言えるわけです。ならば、わたしはそれを信じる。桃も米も野菜もぜんぶおいしく食べる。そういうふうに考え、実行に移しています。
人によっては、または小さなお子さんのいるご家庭などでは、可能な限りリスクを遠ざけておきたいという考えからこれらを口にするのをためらうこともあるでしょう。その姿勢を否定するつもりはありません。あなたにはあなたの、わたしにはわたしの信じるものがある。できることならまたいつか、もう一度信じてもらえますように。ただそう祈るばかりです。
その「またいつか」を迎えるため、ふるさとを離れて暮らす自分にできること。それは、あの町で採れたものを当たり前にもりもり食べて、ごく当たり前に健康で楽しい毎日を送ることだと思っています。
そんなわが家は夫ともども40代。体力の衰えが気になってくるお年頃ではありますが、ありがたいことに今はまだ二人ともすこぶる元気です。「桃が美味いとても美味い、今年は特にめちゃくちゃ美味い」とあたり構わず吹聴し、旧知の友人たちから「それなら送ってよ」と頼まれるたび、天にものぼるような気持ちでいそいそ伝票を書いています。
できることならまたいつか、もう一度信じてもらえますように。あなたにも。
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*1:「桃食べてね、傷ものだけど」の意