almost everyday.

its a matter of taste, yeah

あぶらすまし「タイムスリップ盤」完成によせて

あぶらすましを初めて聴いたのは7年前、SET YOU FREEがいわきで開催された日のことでした。記録によれば当日の出演者はBAZRAキンブラ、LINK、ワタナベイビー。当時も今も変わらずいわきで活動する彼らはその日、地元唯一の出演バンドとしてオープニングアクトを務めていました。
その日のステージで最も印象に残っていること。それは、ボーカルのMさんがステージに上がるやすぐにペットボトルの水をかぶり、フロアに向かってにーっと笑って見せたことです。それは何だか子どもみたいな笑顔だった。少年ぽいとか純真そうとかいうんじゃなく、大人の事情や痛いところを無意識のうちに見抜いて覗き込むような、唐突で無防備でしがらみのない笑いかたでした。それを今でも覚えています。Mさんがその日淡いピンクの服を着ていたことまでも、やけにはっきり鮮明に。
あらためてご紹介しましょう。あぶらすましは、福島県いわき市を拠点に活動する男女混成バンドです。以前は2本のギターとジャンベの音色が印象的なベースレス編成でしたが、近年は同じくいわきで活動するエレクトロユニット・カールゴッチの会をメンバーとして迎え入れています。以後、ベースとキーボードが加わった音は厚みと広がりを増し、既存の曲にもこれまでと違ったアプローチが見られるようになりました。2010年にはARABAKI ROCK FESTに出演、仙台では知る人ぞ知る存在ながら朝いちばんのMICHINOKUステージを大いに盛り上げたのも記憶に新しいところです。
彼らの魅力、あるいは本質。それは、演奏する姿がこの上なく「楽しそう」で「気持ちよさそう」であるにもかかわらず、どことなく「人見知り」で「恥ずかしがり」で「奥ゆかしさ」をも兼ね備えているところにある、とわたしは勝手に思っています。それは「ミュージシャンであること」と「いわきに根を張る生活者であること」が彼らの中で同等であること、つまり音楽と生活とが分かちがたく結びついていることを示す何よりの証であるように思えてなりません。漁業と石炭で栄えたいわきという町は、古くから人の出入りが盛んだったことから懐の深いおおらかさを持つと同時に、古き良きコミュニティを大事にする地域性をも併せ持っています。ミュージシャンの大胆さと、あの町の風通しの良さと悪さ。これらの相反する要素を当たり前のように持ち続けているバンドというのは、実はあまり多くないように思います。
そんな彼らのライブは、前述のとおりひたすら「楽しそう」かつ「気持ちよさそう」です。ショーアップされた演出は皆無、にもかかわらず演る側見る側いずれにもエンドルフィンが充ち満ちてくる演奏ぶり。冒頭でご紹介したMさんは言わずもがな、ジャンベ+コーラスのRさんもそれはそれは気持ちよさそうに歌います。もうひとりのMさんは一見クールで寡黙そうな佇まいですが、助走をつけてダイブしたりギターを床に叩きつけるなど静かに燃えていることもしばしば(今はやらないかもしれませんが)。全てが踊れる曲というわけではなく、静かな曲やしんみりした曲、シリアスな曲もありますが、ステージ上の彼らはいつも音を出す気持ちよさをかみしめているように見えます。しかし時折内に篭もるような人見知りぶりを見せることもあり、身内の多いライブハウスに留まることを良しとする奥ゆかしさにもったいなさを感じていた自分としては、アラバキでの突き抜けっぷりがことのほかすばらしく感じられ、見ていてぞくぞくするほど気持ちよかったのでした。
ライブの楽しさ・気持ちよさとはまた別に、じんわりしみじみぐっと来るのが歌詞です。「タイムスリップ盤」と題された新音源にはその名の通り結成初期から(?)の楽曲が当時と異なるアレンジで収録されているのですが、中でも今回初めて聴いた「君と暮らすまで」の何気ない歌い出しがやたらと深く心に刺さりました。

君と暮らすまで 僕は死なないぜ

こんな歌詞をしっとりでもなくねっとりでもなく、まるで祭囃子みたいににぎやかな曲に乗せてくるんです。にもかかわらず、しれっとUSオルタナ風味をも加えてきたりするんです。ああもう、なんて素敵なんだろう。たまりません。
ラブソングの歌詞。その多くは「恋に落ちる瞬間の高揚」あるいは「恋が終わる直前の感傷」のいずれかを題材としたものです。「君を永遠に愛する宣言」なんかも多そうですが、彼らの曲の多くはそのどれにも当てはまりません。何て言ったらいいんでしょうか、そこまで自分に酔ってない。酔った勢い、せーのでジャンプ、言ったもん勝ち、みたいなそういう最大瞬間風速的テンションとは無縁のようです。それっていうのはつまり、恋の始まりでも終わりでも盛り上がりでもない「今までもこれからもずっと続いてく日常」を歌っているからなのですよね、きっと。そして「日常」というのはそもそも歌にしづらい題材だと思います。もっと言うなら、絵にもサマにもなりにくいでしょう。なぜってドラマチックじゃないから。テンションだって高くないから。なのにそれをごく当たり前のように歌って、当たり前のように楽しそうに響くだなんて、それって実は凄いことなんじゃないか。「ふつう」が「ふつう」のままで「楽しい」。それが「ふつう」に成り立っていることの「ふつうじゃなさ」を、わたしはとても凄いと思っています。
こんなこと直接言えないからわざわざこんなとこで書いてんだよ!