almost everyday.

its a matter of taste, yeah

fullgrown?

職場で支給されたお昼ごはんの海鮮丼(注:普段はこんなにゴージャスじゃないです。たまたま変則勤務だったから)、ほっき貝がものすごーく生臭かったです。排水溝みたいな臭いがしました。悲しい。

だからというわけではないけれど、仕事のあとでお友達とごはんを食べに。モスの夜限定メニュー、ビーフストロガノフのチャパタサンドです。れんこんとひじきのサラダ、チリソースがけのポテトフライがついて780円也。2階の奥まった禁煙スペースを占拠、気がつけば3時間ちかく喋りたおしておりました。これまでに読んだ本の話とか、ずいぶんいろいろ話したなー。

たとえば山田詠美の「ぼくは勉強ができない」がどうして教科書に入れなかったのか、ということについて。
「やっぱりさ、桃子さんがいけなかったんじゃない?」「『寝てたの?』『してたの』とか、さすがにまずいよねぇ」「そりゃダメだ」「そういえばあの本ではじめて『吝嗇』って言葉を知ったんだよねアタシ」「あんな言葉使う高校生、いないってば」確かに。

しかし、本をよく読むようになった頃の記憶というのはやたら鮮明に残ってるなぁ。むしろ、最近読んだ本の方が印象薄かったりして。それって当時、活字の魅力を理解しはじめたばかりで全てがいちいち刺激的だったからなんでしょうか。そういえばこの頃は何を読んでもあまり驚いたりしない。言葉の選び方や話の流れに感心することはあっても、ただわけもなくぞくぞくするような思いを味わったりすることがないのです。文学的な不感症、だなんてやだなぁそんなのは。「明確なビジョン」と「固定観念」を混同してはいけない、そう思う。「柔軟な発想」と「ただのわがまま」が同じであってはならないように。

って、これほど難しいこともないんだろうけど。