almost everyday.

its a matter of taste, yeah

あなたの夢かなえる天使だったらいいのに

誰かに対する「がんばれ」という気持ちが大きければ大きいほど、そのひとことはなかなか言えない。
これがスポーツ観戦とかならもちろん話は別ですが、そうではなくて。困難な仕事や勉強や人間関係に悩んだり、はたまた怪我や病気で苦しんでるひとに「がんばれ」と声をかけるのはためらわれるものです。何故って、こちらが応援したくなるようなひとっていうのは大抵、こちらがそう思わされるに至った時点で既にめちゃくちゃがんばってる場合がほとんどだからです。これだけ必死にがんばってるひとに、この上まだプレッシャーをかけるつもりか?と思うと自分がまるで宗方コーチみたいに思えてしまっていたたまれない気持ちになります。仮に自分が逆の立場だったとして、こちらの事情を何も知らない第三者から軽い調子でそのようなことを言われたら「これ以上なにをどうがんばれっつうんだよ?」とげんなりしてしまいそうな気もするし。目指すゴールに無事たどりついてほしい、だけどどうかこれ以上無理はしてくれるな。というアンビバレンツな願いはいつも、上手い言い回しを思いつけないまま「あんまりがんばりすぎないでね」といった煮え切らない言葉でしか伝えることができず、結果いつも悶々としているような気がします。
この件に関してはたしか、しばらく前にも似たようなことを考えたっけ。と記憶の底をさらってみたらこことかここに行き当たりました。いま考えてることとはちょっと違うケースだけど、やっぱりこれもすごく有効だ。とあらためて実感。ありがとうみうらさん。こう真っ直ぐに言ってあげることはなかなかできないけれど、ちょっとずつ伝える力を身につけたいです。
とどのつまり、自分は今も人見知りの内弁慶なのだな。他人が良しとしてくれるわたしの長所はわたしの中の上澄みにすぎないけれど、それもいちおう自分の一部であることに変わりはなくて、本当の自分も嘘の自分もなくて自分は自分でしかなくて、ぐるぐる回ってわけがわからなくなってきたけどとにかく、それを気に病む必要はない、というかそんなことを考えてる暇があるなら手を動かせ。という話なのですきっと。あー、わずらわしいことを考えてしまう隙間すら埋め尽くすくらいに心を亡くしてしまいたい、一時的に。おやすみなさい。