almost everyday.

its a matter of taste, yeah

この街を忘れて 大切な人も置いてきた

というわけで。携帯電話を持ち歩けない不便はもちろんあるものの、その一方で思いがけない開放感を味わったりもしています。わたし、今なら、どこに消えても足がつかない!どこにだって行ける!みたいな。まあ結局のところ「どこにでも行ける」は「どこにも行けない」に限りなく近しい状態でしかないのだけれども。肝心の行き先が見つからない、という意味合いにおいてはほとんど全く同じことよね、それって。
それからもひとつ、気づいたことなど。大人になるにつれしみじみ実感するというか確信を得るに至るというか、なんでもいいけど悟ったような気分になってることのひとつに「自分はとりわけ堕落しやすい」というのがあります。水は低きに流れ人は易きに流れる、というあれです。
たとえば。Twitterというのはその気になれば周辺環境すべてを思い通りにできてしまうツールなわけで、そんな場を100%好きな人だけで埋め尽くしたりしたら自分はきっと、いいえ確実にはまってしまって廃人になる。…という恐ろしさから、嫌いな人を敢えてフォローすることで適度な居心地のわるさを保ち、あの空間に入り浸りすぎないよう用心してたんでした。しかし今回、まる一日Twitterから離れていても特に支障がない、というよりむしろ平穏でいる自分に気づいてちょっとしょんぼりしてます。毒で毒を制するつもりがふつうに毒にやられていたとは、あまりに間抜けすぎやしないか自分。自分自身の毒も含めて。嫌いな人のよくない話にあふれる笑みを抑えきれない、みたいな毒はあくまで少量にとどめておくのがよさそうです。毒と薬は紙一重。おやすみなさい。