almost everyday.

its a matter of taste, yeah

すれるのは、忘れるのはなぜ?

敷きふとんからずり落ちて、ひやりと冷たい畳の感触がやけにするどいので目を覚ましました。ぼんやりしたまま隣を見ると、タオルケットをミイラみたいにぴっちり身体に巻きつけた相方が敷きふとんに対角線を描くようにきれいに斜めに寝ておりまして、わたしはその脚にはじき出されたような恰好なのでした。怒るというより諦めに近い気持ちでふとんを抜け出し届いたばかりの朝刊を読んで、なんだか無性にかなしい気持ちになったのでたわむれに「新聞に人生相談を投稿するなら、どんなお手紙にしようかなあ」等と突拍子もないことを考えてみたりしました。相談内容はもちろん、例の休んでばかりの先輩への対処方法についてです。いかにもそれっぽい文体で書きはじめたらだんだん気持ちがのってきてしまい、躍起になって推敲を重ねた結果、そのまま新聞に掲載されてもいいんじゃないかこれ?と思えるほど少ない文字数で思いのたけのほとんどすべてを綴ることに成功してしまい軽く動揺。もっとも、それを具体的に手紙という形にまとめた時点である程度まですっきりしてしまった感は否めないので、これから先よほど痛い目に遭わない限り実際に投稿することはないと思いますが。頭の中身を言葉に置き換えるという行為には、やはり何らかの沈静作用があるのだなあというようなことをあらためて思った次第です。それも、不特定多数に読まれることを念頭に置くのではなく、明確な「誰か」を思い浮かべて書くほうがそうした効果はより強いのかもしれません。ある意味自分セラピー、なんでしょうか。関係ないけど、出来上がった文をためしに相方に読ませてみたところ、冒頭の書き出しだけで「すごい!すごい!それっぽい!」と大笑いしてもらえたのがちょっとうれしいです。考えてみれば、自分で書いたものを相方に見せることは滅多にないな。というかほとんど、これが初めてだな。なんでだろう?

お昼ごはんは塩やきそばと豆腐サラダ。あまりの蒸し暑さに耐えかねて昨日から入れはじめたエアコンの冷風に気持ちよく目を閉じてうとうとしつつ、今日も相方に背中を揉んでもらっています。朝はやく目を覚ましてしまったせいか、食後は形勢逆転してわたしがほとんど寝っぱなしでした。その間、相方は相方で再来週の上京(大学の同窓会があるんだそうです)の際の宿やバスの手配をしてたとのこと。同じ部屋にいてもしてることは大概ばらばらです。よそのご夫婦は週末どんなふうに過ごしてるんだろうなあ、とたまに思います。今週も短かったな、週末。来週はいよいよひたちなかです。晴れるといいな。いや、あまり多くは望まないから、とりあえず雨がふらなきゃいいな。おやすみなさい。