almost everyday.

its a matter of taste, yeah

わたしの血はもう要らないの?

6時すぎ、仕事でしくじる夢をみてひんひん泣いて目をさまし、ほぼ無意識(であろう)のうちに差し出された腕にすがりつくようにして体勢を立て直し再び眠りについたらば、今度は全然関係ない夢(職場のチーフが何故か飯島愛で、その夢の中の彼女は現在妊娠7か月で、『誰にも言うんじゃないよ』と度々念を押される)を見てわけもわからず含み笑いで覚醒する。という朝から何だか忙しい思いをしました。何だ?これ。

サンデージャポンを見ながら朝ごはんを食べました。お麩とキャベツの含め煮、大根と長いものぽん酢和え、昨日の残りのけんちん汁、桃。相方んちの周辺でできる買い出しを済ませた後、駅前へ。何ヶ月ぶりかで献血ルームに行ってみたのですが、わたしはやっぱり今回もお休みでしょんぼりしながら腹いせにおせんべばりばり食べてました。相方は10回記念のガラスの杯をもらってました。ああ、追いつかれるのも時間の問題だなあ。濃い血がほしいです。最近じゃDHCもファイチも効きませんの。どうなってるんだ、わたしの血液よ。献血ルームを出た後は、ラーメン国技場で北海道ラーメンを食べて最終のバスに乗り、慌しくいわきへ。間に合ってよかった。

いつものことながら帰りのバスはおそろしく混んでいて、どこももれなく相席でした。わたしの後ろに座った人が取っ手をぐいぐい引っぱったり、飲みものホルダーをひっきりなしにばたばた開けたり閉じたりしているようで大変にうるさく、さらにその振動がダイレクトに背中に伝わってくるのでとても落ち着いていられません。最初のうちこそ「すぐに収まるだろう」と大人のふりしてがまんしてましたが、発車後数十分たっても一向に音と振動が止む気配はありません。わたしの隣の見知らぬおばちゃんも眉をひそめております。んむー。

業を煮やして「これはさすがに文句のひとつも言ってやらなきゃ」と思い、窓に映った後ろの人をちらりと盗み見てみたら、一瞬あたまの中にはてなマークが浮かびました。だって、その二人(いずれも中年女性)は、互いに手をせわしなく動かし、口をぱくぱくさせているのです。これって、もしかして、耳が聞こえない人たち・・・・・・?そこに思い至った瞬間、疑問と不安が次々に押し寄せてきました。まず、わたしは手話などできません。どうやって意志の疎通を図ればいいのでしょう。さらに、「耳が聞こえない人」に、わたしの「うるさい」というクレームを理解してもらえるとは思えません。それ以前にまず、「耳が聞こえない人」に「うるさい」と告げるのはひどくデリカシーに欠ける行動なのではないかしら・・・?等々。

頭の中がごちゃごちゃしてきたので、ひとつずつゆっくり考えてみることにしました。まず、こちらの意向を伝える手段。鞄の中に手帳とボールペンがあるので、筆談がもっとも確実な方法でしょう。次に、「うるさい」の意味を理解してもらえるかどうかについて。「音」という概念を理解してもらうのが難しければ、音に付随する「振動」を前面に押し出せば行けるかもしれません。最後に、これがいちばん難しい、デリカシーの問題。相手に「何よいいじゃない、あなたは音が聞こえるだけで幸せだと思いなさいよ」的な反感を抱かせることになるかもしれない危険性を考慮しつつ、そうなった場合の心苦しさをも鑑みたうえで、それでもやっぱり「だめなものはだめだときちんと指摘するべきだ」とか「特別扱いすることが結果的に差別みたいなものに繋がるんじゃないのか?」という結論に至り、最終的には以下のような行動に出ることにしました。

「中腰で後ろを振り返り、『ぎしぎし言うのが背中に響いて落ち着きません。できれば、後ろから引っぱるのをなるべく控えていただけませんか?よろしくお願いします』と書いた手帳を手渡す」

・・・で、結果はというと。最初はびっくりしてわたしの顔を見つめていたその女性は、手帳を受け取りさっと目を走らせると、片手を立てた「ごめん」のポーズで片目をつむり、申し訳なさそうな笑みを浮かべて「ごめんなさいね」と口を動かしてくれたのでした。ほっとしました。いちばん、届いてほしい形でこちらの意向が伝わった、ような、気がしました。ああ、緊張したなあ。でも、ちょっとだけ「やるべきことをやった」というような気持ちになったのも事実です。おやすみなさい。