- 月曜日に「おひなを泣かすな」と言い渡した虚無蔵さんが五十嵐を斬らず餞を送った理由に思いを馳せたりとか、「愛しいおなごを泣かす者は真の侍にあらず」はすみれさんへの侮辱に憤った破天荒将軍の振る舞いにも通じるよなあとか、「夢を諦める言い訳にあたしを使わんといて」のザ ・侍と呼ぶにふさわしい切れ味に痺れたっスわ〜とか、そうか92年と言えば駅前留学が流行り出した頃合いに重なるかもしれんなあとか、当時を彩るBGMなら「私がオバサンになっても」がドンピシャの筈なんだけどテーマがブレるし諸々シャレにならんかったろうなとか、小夜ちゃんがいずれ商店街に住むのだとしたら物語が一気に加速する予感満載よね…とか、桃ちゃんの野球に対するモチベが叔父さんのそれに重なってたりとか、その後の闇堕ちっぷりもまた大叔父さんと完全一致してて頭を抱えたりとか、最後は「吹け、吹くんだジョー!」と拳を握りしめたりだとか、今週もひたすら毎日感情が忙しかったです(とうとう朝ドラ週まとめに移行しました)。
- 毎年この日は大いに心が乱れるので、なるべく家に一人でいるのを避けるため朝からチネへ向かいました。エル・ファニング出演、選ばなかったみちを観に。
- 認知症の当事者である父と、献身的な介護に勤しむ娘。ふたつの視点が軸になっているだけではなく、父の意識は故郷と海辺を行ったり来たりで、かつての記憶と選択次第で有り得たかもしれない妄想との境界さえも判別できない状況に陥っていることが次第に分かってくる構成は確かにちょっと、いやかなり難解かも。中盤あたりで妄想に現実の音声がカットインしてきた瞬間には背筋が冷える思いをしました。これこそが認知症だというのなら、わたしは意思の疎通ができなくなってまでなお生き続けたいとは思えないな…と率直にそう考えてしまわずにいられなかった。最終盤、それまでずっと「こちら側」に居続けた筈の娘さえも妄想に過ぎなかったのか…?と思わせる、その判断を観客に委ねる演出たるやもう。
- 父絡みのアクシデントに見舞われ続け、仕事まで思うように行かず涙を流した娘asエル・ファニングが感情を爆発させた瞬間、わかる。わかるよ、その行き場のない憤り。俺も知ってる、泣けるときに泣きたいだけ泣いたらいいよ。自分のズボンを父ちゃんに穿かせて自分はコートに素足でひとまず急場をしのいだ後、おんなじズボンを買って穿いて待合室に佇むシーンの何気ない尊さに胸をうたれました。これが愛だわ。
- 家に戻り簡単な食事を済ませた後は再び外へ。図書館で借りた本と黒ビール1本を持ち出して、公園で背中に暖かい陽射しを感じながらページをめくるなどしました。1分前にアラームをセットしておいて、黙祷は徒歩移動中の郵便局前駐車場で。許されるものなら忘れてしまいたい、なかったことにしてほしい、それでもこうして歳月を経て既に自分の一部と化してしまった重い記憶を、こうしてまた心に刻みつけ直して日々を過ごしていきます。どうしたって消し去ることのできない罪悪感や後ろめたさとともに。おやすみなさい。