almost everyday.

its a matter of taste, yeah

無駄なことを一緒にしようよ

  • 昨夜の例の最終回の話。まとまりを欠いた散漫な編集と陰鬱な雰囲気にやられて早々に見るのをやめてしまったのですが、一夜明けて「生前葬のようだった」というコメントを目にした瞬間もろもろすとんと腑に落ちた気がしたんでした。言われてみれば確かに、あの静けさと腫れ物感はまるで追悼番組のようだった。
  • これがもし、本当に命が絶たれてしまった後のことだとしたら、事実を受け入れるより他にないといっそ諦めもつくのでしょう。でも、メンバー全員元気でぴんぴんしてるのに、大きなわだかまりを飲み込んで押し黙ったまま、かつての仲のよさをこれでもかと見せつけられながら、テレビのこちら側で何もできずに最後の瞬間を見届けるしかできないなんてそれはあんまりだ。と、最後の最後に少しだけその苦しみを肌で感じたように思えたのでした。逆に言えば、これまで何も分かってなかった。これだけ個々が突出してれば今後もソロは見られるだろうに、何がそんなに悲しいんだろう?とさえ思っていました。
  • わたしとて、好きなバンドが解散したらそれは当然悲しいです。実際、そういう事態はこれまで何度も目の当たりにしてきました。でも、その悲しみは「二度と新曲が聴けないこと」「二度とライブが見られないこと」の二点に集約されていて、「バンドの持つ関係性(あるいは友情)が損なわれること」への悲しみが先行するケースはまずありませんでした。そもそも、仲がいいのかどうかよく分からないまま作品だけをひたすら聴いてることも多いし、むしろそっちがデフォルトかもしれない。海の向こうのバンドなんか特に。いや、仲がよければそれに越したことはないのでしょうけど、本人たちの仲のよさと作品のよさは必ずしも一致しないし、少なくとも自分が作品を気に入るかどうかとは一切関係なかったよな、という話です。
  • 仮にもし、活動期間が長くメンバーの結束も強いシャーラタンズ*1あたりが解散したら自分はめちゃくちゃ悲しむだろうけど、この場合はいっそ「やりたいこと全部やり尽くしちゃったのかな…」とある意味納得できそうな気がしないでもないのです。ていうか、彼ら、事故と病気で既にメンバー二人亡くしてるし。当時はそれを事実として受け入れるしかなかったし。それでもバンドは続いてくし、ってことでどうにか持ち直したのだし(※自分が)。それに何より、これまでの作品の数々は永遠に残るわけですよ。そう考えると、やっぱり全然違うのです。作品を愛でるのとグループを愛でるのとでは、根本的なところが違う。愛を注ぐ対象が。
  • これがソロのシンガーであれば、作品と同時に、あるいは作品とはまったく無関係に、シンガー本人に好意を抱くこともままあるでしょう。ごく身近な家族のように、あるいは友人や恋人のように。その好意を、対個人ではなくグループの関係性というかたちを持たないものに見出す感覚が今ひとつよくわからなかったんですね。いや、今もあんまり理解できてない気がする。野球や駅伝のチームを応援するような気持ち?そうは言っても高校野球や箱根には卒業というリセットがあるし、プロにだって移籍や引退はつきものだから違うよな。うーん。それはむしろ、頻繁にメンバーを入れ替える女性アイドルに通じるところがあるよな。「固定メンバーで」「数十年もの間」「お茶の間レベルの幅広い活動」を続けてきた、って辺りが国民的グループたる所以ってことになるのでしょうか。まとまらないな。
  • けさ改札を出たら、外の気温は4.5℃。昨日のこの時間帯はマイナス1℃台、どうりで暖かいはずです。TLをみる限り、今日はどうやら西も東もこんな感じだったみたい。ふいー。おやすみなさい。

*1:日本ならここはスカパラあたりに置き換えるとしっくり来そうです