almost everyday.

its a matter of taste, yeah

高く高くジャンプして

棒高跳びが好きです。
どのくらい好きかというと、Tシャツ店graniphにて"pole vault"というそのものすばりな名前のついたTシャツを見つけた瞬間、一も二もなく買い求めてしまうくらい好きです。当然、自分で跳ぶのは難しいので観戦専門ですが、どうもその難しさゆえに好きさ具合がより増してる気がします。素人にはおいそれと真似することのできない、競技そのもののレベルの高さに対する畏敬の念がやたら大きいというか。
その難しさについて考えてみると、まず、棒高跳びは「道具を使う」という点において他のどの陸上競技種目とも異なっています。いやちょっと待て、投てき種目なら砲丸や槍や円盤を、同じ跳躍種目だってバーや砂場を使うじゃないか。という向きもありましょうがそれは違う。「それがなくては競技が成立しない」という点においてはいずれも同じですが、陸上競技は基本的に身体ひとつで行うもので、「走ったり跳んだり投げたりするために身体以外の補助的な道具(=棒)を用いる」のは棒高跳びただひとつです。
そして、それゆえ難しさのレベルが他の種目よりも抜きん出ています。ほとんどの陸上競技種目は(速さ高さ飛距離はどうあれ)とりあえず健康であればほとんどの人がその動きを真似ることができますが*1、何のレクチャーもなしにいきなり棒高跳びができる人はあまりいないと思います。というか危険です。長く重たいグラスファイバー製のポールを担ぐ腕力、その体勢をキープしたままダッシュする脚力とバランス感覚、ダッシュの勢いはそのままで決して大きくないスペースへポールを収めて突き立てる器用さ、頭を地面に足を天にそれぞれ向けたまましなるポールへ全体重をあずける度胸、空中動作における体操的センス、4〜6メートルほどの高さから落ちても平気な受け身の巧さ、どれかひとつ欠けただけでも大けが必至。言い換えれば、これら全てを満たす身体能力に恵まれた人にしかできない種目なのです、棒高跳びは。まさに、選ばれし者のための種目。自分の場合、棒高跳びを専門にしている人をみるとただそれだけでほぼ無条件に「すごいなあ」と思わされてしまうのはそのせいです。
そんな棒高跳びの世界では、鳥人と呼ばれたロシアの天才があまりに強くそして長く君臨しすぎて*2、もしかしたらこのままずっと日本選手の出る幕はないのかもしれない。と長らく思っていました。そして、自分が陸上競技から離れてしばらくたった頃、初めて世界と渡り合う日本人選手を見たのでした。短い髪をつんつん立てて黒縁メガネをかけたそのひとは、どこにでもいるふつうの若者にしか見えなかった。だからこそ「同世代からすごいのが出た!」という興奮がものすごく大きかったのを覚えています。以来ずっと、わたしの中では希望の星みたいな存在なのです。澤野大地さんが。
以上、跳躍種目に関してはほとんど何の知識もないまま、ろくに文献あたりもせずに書きたいことだけ書きました。詳しい方のお目に触れたらフフンと鼻で笑われてしまうのでしょうが、跳べない者が跳んでるひとを見てたらついついわきあがる賞賛の気持ちをおさえられず、仕方がないのでかたちにしたらこうなった。という次第です。せっかくなので、澤野さん決勝進出*3記念に残しておこうと思います。健闘祈願!
仕事おわりにまっすぐ仙台まで移動してきて、先ほど夫んちに着きました。今から中継ゆっくり見ます。明日のことを一切気にせず夜ふかしできる幸せ…!というわけで、まだ寝ないけどおやすみなさい。

*1:他に難しいのは投てきのフォームと背面跳びくらいでしょうか

*2:世界記録が15年以上破られてない、っていうのはとんでもないことだと思うわけです

*3:何の思い入れもない夫からは「あれ、なんかすごい他力本願な勝ち残りかただったよねえ…」と至極冷静なつっこみを頂戴しましたが、いいじゃんそこは結果オーライってことにしといてくださいよ