almost everyday.

its a matter of taste, yeah

25日分、3日前の話の続き。朝食の席でぽつりと「そういえばわたし、マスク苦手なんだよねえ…」とつぶやいたら「あら、あたしも」「あたしも」「うん、オレも」って母と姉ならまだわかるけど、義兄までもがまさかの同意。これはもう、そういう性質の家族なのだと納得するより他になさそうです。なら仕方ないか。諦めがつきました。
その姉によれば「さいきん野菜安いんだよねー。だからいっぱい買っちゃった」とのことで、ここ数日は産地不詳のにらやトマトやほうれん草をたくさん食べています。いわく「あんな小難しいちまちました数値、いちいち気にしてたらここじゃ生きていけないよー。それに、こんな値段でしかも売れなかったらお店がつぶれちゃうじゃない」とのこと。うんうん。
なんて言ったらいいんでしょうね。自分の目で見て直に手で触れたものを信じたい気持ちが、一時的にしかも強烈に高まっているのかもしれません。見えないものはもちろん怖いし、怖いものを食べずに済むならそれに越したことがないというのも頭では分かっているつもりです。完璧に安全な食材だって探せばきっとあるのでしょう、どこかには。でも、何十年か先にもしかしたら出るかもしれない健康被害を恐れる余裕や選択肢というものが、今ここにあってはものすごく少ないのです。ねえ、そこんところ分かってる?
…と、無責任な不安を煽るばかりのひとたちの胸ぐらつかんで揺さぶって頬のひとつも張りたいくらいの気持ちでいます。出生地の名前を口にしただけで眉をひそめて同情される、そんな日が来るなんて思わなかった。それは今まで感じたことのない悲しみでした。福島を忌み嫌い否定することは、そこで生まれ育ったわたしたちの存在を否定することにも繋がるのです。それがひどく悲しくてもどかしい。